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横浜の貿易商が、江の島に遺した庭
1845年アイルランド生まれの貿易商が、明治の江の島に大規模な植物園を築いた。
サムエル・コッキング(1845-1914)は、イギリス領アイルランドに生まれた貿易商である。藤沢市の電子博物館「みゆネットふじさわ」によると、オーストラリアに移住したのち、明治元年(1868)に横浜へ来日。明治4年に横浜居留地でコッキング商会を開き、翌年には宮田リキと結婚した。そして明治13年、リキの名義で江の島に土地を購入し、住居用の別荘とともに、私用の大規模な植物園を開いた。これが、現在の「江の島サムエル・コッキング苑」につながる庭園の始まりだ。
当時、本格的な植物園は珍しく、コッキングが栽培していたランなどは植物の研究者たちからも注目を集めていたという。藤沢市の観光公式サイトによれば、庭園は総面積1万平方メートルを超え、園路や築山、池、花壇に加えて、広さ660平方メートルもの温室を備えていた。運営する江ノ島電鉄は、この温室が造園当時は東洋一の規模だったと紹介している。
本業の商いも幅広かった。コッキング商会は医療器具や測量器具、写真器材、楽器、洋酒などを輸入し、ハッカや百合根、美術骨董品などを輸出した。国内でコレラが流行した際には、医薬品の輸入販売で財を成したとされる。江の島のほかにも湘南海岸一帯に土地を購入し、別荘地として販売していたというから、湘南の海辺と早くから関わりを持った外国人の一人でもあった。晩年は福祉事業にも力を注ぎ、江の島の植物園で孤児院を支えるための慈善園遊会を開いた。大正3年(1914)、横浜・平沼の自宅で亡くなっている。
コッキングが造った温室の遺構は、平成14年(2002)のリニューアル工事の際に発見され、現存する唯一の温室遺構として今も苑内に残る。令和3年から4年にかけて整備された「温室遺構展示体験棟」では、ガラス張りの床から遺構を見渡しながら、コッキングの歴史に触れることができる。
一人の貿易商が私財を投じて育てた庭は、140年あまりの時を経て、江の島を訪れる多くの人が集う場所になった。展望灯台「江の島シーキャンドル」を目当てに苑を訪れたら、足もとの煉瓦の遺構にも目を向けてみてほしい。江の島の見え方が、少しだけ変わってくるはずだ。

